以前、大岡昇平が戦後復員して、彼の家庭教師だった小林秀雄にあいさつに行った時に、魂のことだけ書きなさいと言われたことを書いていたと紹介した。

実際文学とはそういうものだと思う。
人間の生き様の凄まじさを書くのである。

どうでもよいようなことを、書き綴るのではない。

トルストイは、80歳を過ぎて、彼が作った莫大な資産を、家族が遺産争いをするのに嫌気がさして家出をし、シベリアの寒村の駅でのたれ死んだ。

若いときは、戦争と平和等で、知力体力ともに名声を博し、あらゆる富と欲望を手にした。年老いて、そのことを悔い、恥じて、禁欲を訴え、「懺悔」を書いている。

夏目漱石は、夫人や子供からは気違い扱いをされ、恐れられていた。
彼の後半の小説は、やはり凄まじいものであった。

夏目漱石の晩年に、弟子たちの紹介もあって、ドストエフスキーに注目をしていく。
自らの大病とドストエフスキーの持病・死刑体験と比較しながら、「思い出すことなど」で、触れている。
ドストエフスキーは、今なお、最高峰とされる小説家である。

凄まじさとは、何かであるが、人間とは、生まれ、成長し、老いて死んでいく、所詮、単なる動物に過ぎない生物であり、人間の人生とは、欲と不安・絶望の儚い孤独の一生である。

人は、勘違いして称賛するかも知れない。しかし、そんなことに、何の意味もない。そんな人生に意味を付そうとする。

さて、若い人は、優れた人物をマークすることだ。それが勉強するという意味だ。勉強は、自らの死をと対峙しながらするものである。

この勉強は、年老いていくにしたがって、より必要になっていく。

ところで、最近、図書館の「相互貸出機能」を、注目するように書いたが、是非、府のすべての図書館を利用してほしい。市の図書館経由で、府内の図書館へ貸し出しを申し込めば読みたい本が数日で来る。

府内の書籍の一体整備という視点で見なければ意味がないのである。優れた書籍は、最新刊で、府単位で整備しなければならない。出来れば、特に大阪府とは連携するべきである。
そうすれば、将来所得差が拡大していこうとも、教育差は拡大しない。公平に勉強ができるのである。

図書館機能はは、ネットワークで整備するものである。

この視点に欠けるものが、図書館を云々しても、箱物をもてあそぶだけで何の意味もなく、無用な負債を負い、消費をするだけで将来世代に大きな負荷を課し、ただ有害なだけなのである。

おごり高ぶり、不安にさいなまれる強欲で凡庸な者たちが陥りやすい罠なのである。






 。看前の市長選挙中に聞いた話だが、谷垣会は、市民としてはレベルが上の人が入っているらしいということであった。
私が擁立したのは、松山候補(現市長)だった。レベルが下だったということになる。

◆〇笋蓮鈍いほうだからわからないが、福知山には、そういう差別があるようだ。そういうことは、他市から来た人は、よく言う。
そういえば、私の友人は、宮津から福知山へ来て住んだのが昭和50年だから、もうかれこれ40年近くになる。

それでもまだよそ者扱いだ。

 そうなると、松山市長は出世したものだ。堂々たる上のランクの人になってしまったのである。天上人である。

ぁ〇笋諒は、ずーっと下のランクなのだろう。

ァ,箸海蹐如⊂紊下かは、何を基準に言うのだろうか?
そんなことは、どうでもよいが、一人一人を、個人として見てどう思うかだろう。

Α〇笋蓮⊃箸両罎帽腓辰神犬方をすれば十分である。自由なのがよい。人の評価などは、迷惑なくらいだ。

そんなものを気にしておれば、それで失うものの方がはるかに多い。
そんなものを信じておれば、人生が無駄になる。ひどい目に遭う。

そういうのが、私流である。

А,海海泙如⊇颪い道廚そ个靴拭

そうだ!

夏目漱石はそういう人間である。私のは、彼からうつったのかも?
それなら、彼が悪いのである。

─‖疹弁解しよう。こだわりなく物を考える。お上を嫌う。機能的に判断をする。
こういうのは、生理的に、私のDNAにまで浸透している。したがって、私が悪いのだが、どうしようもないのである。
全く反省がない確信犯なのだ。嫌な人が多いと思うが、何人いようが私には関係がないと思ってしまう。
申し訳ない。
そういう意味ででは、私の家内はそうではない。私は家では、肩身が狭いのである。






 ‘団蠅料挙に、特定の候補への投票を頼む行為が、選挙活動である。
広い意味の政治活動の意味には、もちろん選挙運動を含むが、選挙運動ができるのは、告示後投票日前日までである。

http://www.city.koto.lg.jp/ac/senkyo/10058/15248.html

◆,箸海蹐如∋笋蓮⊆磴せから、候補者側が「投票を頼む」という表現は適切ではないと思っている。強いて言えば、投票をする側が、「頼む」のであって、候補者は、堂々と胸を張って、問題の解決能力の高さを具体的に示す機会だろう。これは桁が違う立派な人物だと証明するべきだろう。それでこそ、頼む側も安心できるのだ。

 そうでなければ、情けないというしかない。

ぁ〔簑蠅蓮∪治活動まで、制限する必要はない。市民は、大いに政治を議論するべきである。頼まれる。頼むだけが政治ではない。
自分で、政治に何ができるか、何ができないかを、しっかりと考えなければならない。

A 責任を負わされていないものに、モノを頼む構造!
B 前例が間違ってたとすれば、前例が間違っているとわかった時点以降を直せばよい。職員は、前例と国からの指導を頼りに仕事をしている。この言い分!
このA,Bは口にはしないが、腹では認めている。
まず、Aについて、

 \嫻い里覆い發(たとえば市長・幹部職員)に、ものを頼むのと、責任を持った者(?)にものを頼むのとの違いである。

自分が頼んだことに迷惑がかかるかもしれないと思えば、気の毒で頼めない。ところが、何を頼んでも迷惑がかからないとなれば、相手に負担をかけることなく、どんなことでも頼める。聞く方も、責任をとらなくてもよいとなれば、気前よく聞ける。

◆。毅看間の市政というものは、もちろん、市長のミス(市長も万能ではないから、土地開発公社をはじめ、わんさと、やららと失敗している)を次期市長として指名を受けた副市長が隠す。墓場まで持っていくという構造だった。

その膿がまだまだこれから出る。前回市長選では、その構造を問題にした。

 「誰に代わっても同じかどうか」が、再度、市長選で問われることになる。責任を取らせる仕組みを市民が作り上げなければ、嘆きはするが、生活は破たんしていく一方であろう。自業自得である。

ぁ。造砲弔い討蓮日本全体が、まさに、既得権と前例踏襲の国である。さぞかし、良い思いをしてきたわけだ。以前は、30倍取っていたがまだ、中国の一人当たり給与の10倍を取っている。
もう少しの間、国債を積み上げながらの調整になるだろう。
行きつく先はこんなものでは済まない。若い者(誰か)を犠牲にして誤魔化しているが、年を取ったものはまだまだ幸せである。

ァ 崔を選んでも同じだ」と、結構なもの言いをするが、お前さん、それを言うなら今まで誰かを選ぶために何か努力をしてきたのだろうか? 

何もしてこずに、口先で嘆く。

まだまだ余裕がある。切羽詰まったらそんな評論家の口上は口先には上らないはずである。
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